いつか見た景色を見ながら

恋愛

私はとある夜景と星の見える場所でこの記事を書いている。

なぜここで記事を書こうと思ったのかは自分でもわからない。

ただ、届くはずのないこの想いが届いてくれたらと思い、書き進めていこうと思う。

今から話す内容は親友にも、家族にも、そして私がこれまでの人生でもっとも愛した女性にも伝えなかった話である。

ずっと寂しさを抱えて生きている人は少なくないのではないだろうか。

私もその一人である。

幼い頃には当たり前のように家で物が飛び交う親の喧嘩が怖くて泣く毎日だった。

小学生の頃は父親の仕事の関係で転勤族だったことから幼なじみと呼べる友達も今誰一人としていない。

小学六年生になる前にも転校をし、小学生最初で最後の大きなイベントである修学旅行もたいして仲良くない友達と行ったのを覚えている。

そんな人と比べて家庭環境も育つ環境もお世辞にも良好とは言えない中で育った私は、幼い頃から我慢を強いられて生きてきた。

「転校して友達と馴染めてる?」
「こっちに来てよかった?」
「イジメられたりしていない?」

そんな母からの問いに対しては一度も正直に答えたことはない。

小学六年生のある日、私はクラスでイジメられている一人のクラスメイトをかばった。
元から正しいことと悪いことを徹底的に教え込まれていたこともあり、正義感の強かった私にとってはどうしてもイジメという光景が耐えられるものではなかったからだ。

だが、その数日後にかばったクラスメイトが誰にそそのかされたのか、私に関する嘘の噂を流したことで今度は私がイジメられるようになった。

基本的にイジメなどに対しても臆することがなかったこともあり、反抗したりむしろやり返していたりしたのだが、そうするといつの日か自分が仲良くしたかった友達は誰も話しかけてこないようになった。

そんな中で一度だけ、どうしても一人で抱えきれず母親に心の内をさらけ出したいと思った時があった。
しかし、私よりも気の弱い姉が同級生にイジメられて毎日泣きながら帰ってくる日々が続いていたので、親にも姉にも心配をかけられまいと自分の心の中で止めることにした。

そんなある日、クラスの同級生に家庭のことをありもしないことで馬鹿にされたのがどうしても許せなくて、私はそいつに殴りかかった。

ちなみにその馬鹿にされた嘘の内容は、以前私がかばったクラスメイトが言って回ったらしい。

その件に関しては放課後ということもあってクラスで大事になることはなかったのだが、相手に引っかき傷を作ってしまったこともあって、後日お互いの保護者と担任の教師と私とクラスメイトで話し合いをし、私が相手に怪我をさせたこともあって母親が必死に頭を下げていたのを覚えている。

その夜母親から「なんであんなことをしたの?」と聞かれた時にも、これ以上迷惑をかけたくないという気持ちから「ボールの取り合い」なんて嘘をついてごまかした。

そしてその言葉に対して「そんなしょうもない理由で、ほんと馬鹿ね。」と言われたことが当時の自分にとってはどうしても苦しくて、寂しくて仕方なかったのを覚えている。

この時からだろうか、人に嘘をつくようになったのは。

中学校では転校生というレッテルを貼られることももうなく、ありのままの自分で過ごせたこともあって特に何もなかった。
ただ、姉が引き続き学校でイジメを受けていたこともあり、迷惑をかけまいと嘘をつきながらそれなりに過ごしていたことを覚えている。

何もなかったのか?と聞かれるといろいろとあったのだが、何もないようにしていたのだろう。

やりたいことを親に言えることもなく、やるべきことを、言われたことをただやっていく。

そんな毎日を過ごしていた。

この時すでに私は親に対して自分から壁を作るようになった。

その後、私は部活を熱心にやっていたこともあって県内屈指の私学の強豪校へと進学した。

他県の強豪校からも誘いがあり、個人的にはその高校に行きたかったのだが、金銭面のことを考慮して地元の強豪校へ「近いから」と親に言って通うことにしたのだ。

そこでの部活動は強豪校ということもあり、無駄なことを考える隙もないほど大変だったのだが、家庭のことや自身の寂しさを忘れられる時間でもあったので不思議と嫌いではなかった。

だが、そんな中で私は靭帯を損傷した。

本来であれば最低1年間の療養、もしくは部活動を辞める選択をすべき怪我だったのだが、私学に通わせてもらっていることや周囲の期待もあって誰にも打ち明けられぬまま、毎日痛み止めを飲みながら部活動に参加していた。

そんな中で痛み止めがなくなることだけは致命的だったので、早朝に新聞配達などをして病院代や薬代を稼いでいた。

アルバイトが禁止の学校であったことや、迷惑をかけたくなかった私は親に対しては「朝練があるから」と嘘をついて、働いていた。

この時には怪我の影響から高熱が出ることも頻繁にあって、授業中もほとんど気を失ったように寝ていた。

そして高校3年生の引退直前、私は部活を終えた帰宅途中に意識を失って倒れた。

数十分経った頃に意識が戻り目が覚めた瞬間、そんな私を介抱してくれる人もおらず、打ち明けられる人もおらず、公園のベンチの上で空を見上げながらひたすら泣いていたことを覚えている。

結局、部員にも教師にも黙っていた怪我は大学への推薦をもらった瞬間にバレてしまい、そのまま推薦も取り消しになった。

3年間誰にも言わずに迷惑もかけずに必死に努力をしてやっと一つの形になるというところでのこの現実は、当時の私の心を深く抉った。

これが私が人生で初めて心底感じた絶望だった。

そして私は真面目に生きることをやめた。

親には塾に行くからと嘘をつき、不真面目な人間と関わるようになった。

そこで仲良くなったのは4人の男と1人の女のグループだったのだが、年齢もバラバラで学校もバラバラだった。
だがそんな中でもなんとなく全員が仲間だと認識していた。

彼らと一緒にいることは自分にとって良くないことだとわかっていたのだが、何か寂しさを抱えている人間のそばにいるとなんだか少しだけ自分が恵まれているような気持ちになれ、その心地よさに小さな喜びと安心感を抱いていた。

喧嘩をするようになった頃から警察に補導されることも増え、その度に大人の哀れむ目み見下ろされながら、「俺はこいつらとは違うんだ」とひどく情けないことを考えていたことを覚えている。

そんなくだらないながらも抜け出せない日々を送る中で、ある日いつもつるんでいた仲間同士で喧嘩が始まり、一人の友人が頭を強く打ち、目を覚まさなくなった。

殴った当の本人も我に返って焦り出し、周りにいた私達もどうしたらいいのかわからずに焦っていた。

しかしこのままでは本当に取り返しのつかないことになってしまうと感じた私は、勇気を振り絞って「救急車を呼ぼう」と伝えた。

自分は何もしていないのに大事になってしまうことに多少の迷いが生じたものの、仲間を見捨てることはできないと思い、自分なりに覚悟をして周りの動揺している仲間も説得した。

怪我をさせた恐怖で震える友人に「大丈夫、俺もみんなもいるから」そう伝え、携帯電話を取り出し、救急車を呼んだ。

そのわずか数分後に遠くの信号から救急車が見え、さらにその救急車のサイレンを聞きつけたかのようにその救急車の後ろにパトカーが走っているのも目に入った。

するとその途端、私以外のみんなが走って逃げた。

私は目の前で目を覚まさない友人を見捨てることもできず、この先こうなるのだろうという最悪の未来を予測しながら動けずにいた。

ああそういうことか、所詮人間なんてこんなものなのか。
そう思いながら私は目を開かない友人の手を握りながら救急車と警察がやってくるのをただじっと見つめていた。

駆けつけるとすぐに警察官は私をひどく罵り、私がしていないという言葉に耳を貸そうともしなかった。

その数分後に目を冷ました友人が弁明してくれたことで私への疑念は晴れたのだが、私の心が晴れることは決してなかった。

そしてその後治療のため友人は病院へ行き、私は時間も時間だったため補導という形で警察署にて一夜を過ごすことになった。

夜勤の警察官が休憩する休憩所で横になりながら、自分の信じていた存在に裏切られたことに対して芽生えた様々な感情でひたすら泣いていた。

するとそうやって涙を流し続ける私に対して一人の中年の背の高い男の警官が部屋に入ってき、「よく頑張ったな」と声をかけながら頭を撫でてくれた。

その時の私にとってはそんなたった一言の言葉と手の温もりがとても嬉しかった。

なんだかその言葉が今まで頑張ってきた自分を認めてくれたような気がして、私は味わったことのない温かい気持ちに包まれた。

そして、その日は夜が明けるまで私はなぜかその人にこれまでの人生について語っていた。

これが私と今も忘れられない大切な人との出会いである。

あの日から電話番号をもらった私はストーカーのように毎日連絡してはおじさんの仕事終わり頃に片道1時間かけて自転車で会いに行き、話を聞いてもらったりラーメンをおごってもらったりしていた。

仕事終わりには会いに行って一緒に食事を食べ、休日には車に乗せてもらっていろんな場所へ出かけた。

決して面白い人でもなく、仕事の話ばかりでつまらないのに、同じくらい私のつまらない愚痴や相談を何も言わずに聞いてくれる、そんな人だった。

そして、私にとってこのおじさんは誰よりも大好きな存在になっていった。

そんなある日、毎日のように会いに行く私に対しておじさんは「何かに真剣になりなさい」と言った。
しかし勉強は嫌いという次元のレベルではないほどに苦手な上にやりたいこともなかったので「何もやりたいことないよ」と言うとおじさんは「じゃあ俺も昔やっていたからボクシングでもしなさい」と言い、休日に私を小さなボクシングジムへと連れて行ってくれた。

そこの会長はとても優しく、気軽に話をしてくれたので私も本気で始めるか悩んだ。
しかし、当時アルバイトをしていなかったことと、親にバレたくないという気持ちがどうしても決断の邪魔をし、その日は決断できずに帰った。

すると翌日、会長から携帯に電話があり、「ジムの掃除をした時間分だけ無料で面倒を見てやる」と伝えられた。

私は想像もしていなかった展開に驚き、そして嬉しくて仕方なく、そのままおじさんに会いに行って伝えると、なぜかおじさんも自分のことのように喜んでくれたのを覚えている。

その次の日からジムに通うようになり、必死に練習を重ね、おじさんを試合に招待するために日々努力した。

そして一ヶ月後に試合に出場し、勝利した時にはまるで私が自分の息子であるかのように喜んでくれ、決して高い店ではない中華料理屋でたくさんご馳走をしてくれた。

今までもたくさん努力をしてきたのだが、努力がこんなにも報われたと感じ取れたのは生まれて初めてだった。

そこで私は、この人の喜ぶ顔がもっと見たいと思うようになった。

どうしたら喜んでもらえるのか、正直それは自分自身でもなんとなく理解していた。

このまま怪我を抱えたままボクシングを続けられるわけもなく、今の自分がすべきなのは必死に勉強をし、ある程度立派な大学に行って立派な大人になることだろうと。

だが、もう高校3年生の冬。

入試も始まる頃に全く勉強に手をつけていない私がそれなりの大学の試験に合格できるわけがないとわかっていた。

私の高校の生徒のほとんどがスポーツ推薦での進学をすることが当たり前だったので、担任の教師に相談しても「できるわけがない、就職をしなさい」と言われた。

しかし、どうしてももう一度あの報われたという感覚を味わいたい気持ちと、おじさんの喜ぶ顔を見たいという気持ちから、以前推薦をもらって取り消しになった大学に勉強で入学する決意をした。

周りの教師や親には不可能だからと止められたが、そんな言葉を気にすることもなく、毎日寝る間も惜しんで勉強をした。

そして、私は自身から甘えを切り捨てるために友人との連絡を一時的に断ち、日常の楽しみでもあったおじさんと会う時間も試験が終わるまでは我慢することに決め、その旨をその日会った時に伝えた。

するとおじさんから「じゃあ最後に良いところに連れて行ってやる」と言われ、私はおじさんの車に乗り込んだ。

山の道を車で数十分走っただろうか、なんだかいつもよりも重いような雰囲気に気まずさを感じながら黙っていると、

「着いたぞ」というおじさんの声とともに車が止まった。

(なんでこんな山に来たんだろうか…)そう思いながらおじさんの指差す方を見ると、あたり一面に美しい夜景が並んでいた。そしてさらに空を見上げると、僅かながら星が輝いているのも見えた。

周りには多くのカップルや写真家なども訪れており、私が知らなかっただけでそれなりに有名な場所なんだと知った。

ただなぜここに私を連れて来たかったのかがどうしてもわからなかった私は、おじさんに「恋人じゃあるまいし、なんでこんな場所に連れて来たの?」と聞いた。

するとおじさんは「ここは俺の大好きなところだからどうしても一度お前に見せたかったんだ」と言った。

なんだか嬉しい気持ちと少しの気まずさと抱えながら地面に座り、空をボーッと眺めているとおじさんは私の手を強く握り締めこう言った。

「ありがとう」と。

改まって感謝の言葉を告げられることに慣れていなかった私は「こちらこそ」と一言だけ伝え、その強く握りしめられた手を握り返した。

そしておじさんは続けた。

「これからいろいろな人に出会うと思う。その時に自分が一度でも信じると、好きでいると決めた人に対してはどれだけ傷つけられても最後まで優しくして味方でいてやりなさい。」「そして優しい人でいるためには強くならなくてはならない。弱みを見せずに誰かを支えられる強さを持ちなさい。」と。

そのほかにも人を信じるべきだという話や、これから社会で生きていくために大事なことなどを伝えられたのだが、当時の私にはこの二つの言葉が強く心に刺さった。

そして最後に、「本当に大事な人ができた時に、好きな人ができた時にその人をここに連れて来てやりなさい」と伝えてくれた。

「俺に好きな人なんてできないよ」なんて笑いながらいう私に「絶対にできるよ」と言って笑いながら頭を撫でてくれ、しばらくのお別れをした。

三ヶ月後、私は当初目標にしていた大学より少し上のレベルの大学に無事合格した。

学校では快挙とも呼べる結果だったので、ほんの三ヶ月ほど前は散々けなして馬鹿にしていた担任も手のひらを返し、まるで自分のおかげだと言わんばかりに周りの教師に自慢していたのを覚えている。

家族にも褒められ、認められた時はなんだか素直に嬉しかった。

だが、私にとって一番認めて褒めて欲しい特別な存在がいる。

私は合格通知書が家に届いた瞬間に携帯を手にとり、おじさんに電話をかけた。

早く喜ぶ声が聞きたい。いや、会った瞬間に伝えようか。そんな期待に胸を膨らませながら携帯電話を耳に当てた。

しかしその時私の耳に聞こえたのは懐かしいおじさんの声ではなく「おかけになった電話番号は現在使われておりません」という機械の声だった。

おかしいな?そう思いながら何度も確認しながら連絡してみるものの、全く連絡はつかない。

携帯の番号を変えたのか?でもそれなら連絡があるはず。

そんなことを考えながら、僅かな不安とおじさんの反応を見たいという大きな期待を抱え、直接おじさんが勤めていた警察署へと足を運んだ。

いつも警察署の前でおじさんを待ち伏せしていたので数人警察の人とは顔見知りになっていたこともあって、なんとなく見たことのある若い警察官を捕まえ、おじさんがどこにいるのか尋ねた。

すると「ああ…」となんとも歯切れの悪い言葉と重い溜息を一息吐き、若い警察官はこういった。

「先月病気で亡くなられたよ。」と。

私は頭の中が真っ白になった。

言葉に対しての理解が追いつかず、呆然とする私に若い警官は肩に手を置き「では。」と言い残しその場を去って行った。

そのまま私はいつ、どうやって家に帰ったのかは覚えていない。

気づけば自分の部屋にいた。

三ヶ月前は元気だったのだろうか。
なぜ三ヶ月も待たせてしまったのか。
もう会えないのだろうか。

そんなことを考えていると、後悔と申し訳ないという気持ちが涙に変わり、込み上げてきた。

その日からどのような感情で毎日を過ごしたのかは覚えていない。

友達からの誘いもすべて断り、おじさんに渡すはずだったハンカチも捨て、ただ部屋の中で一人泣く日々が続いた。

大学合格後に再開しようと思っていたボクシングジムにも通う気力もなくなり、退会の連絡を入れると、そこで最後に会長から私の会費は毎月おじさんが払っていてくれたことを聞かされた。

その優しさも私の心の傷をさらに抉った。

なぜ苦しい時に何も伝えてくれなかったのか、ずっとそばにいてくれると思っていたのになぜそうやって私の元からいなくなってしまうのか、そんなことを考えながら、おじさんの苦しみにも辛さにも気づけなかった自分をただただ恨んだ。

そして私は大学に入学し、大学1年生の冬には彼女ができた。

大切な存在を失った過去から、もう二度と大切な存在を失いたくない私にとって、半年間片思いをしてくれた彼女に対しての気持ちは恋愛感情などではなく、ただ私が求めていたものそのものだった。

人生で彼女ができたことは数回あったのだが、本気で恋愛をしてみようと思えたのはその人が初めてだった。

この人はとても素直で、私の寂しさをまっすぐに受け入れてくれた。

1年、2年と月日を重ねていくごとに今まで私が頑張ってきてことに対する神様からのプレゼントなんだと、心底そう思えた。

何かを買ってあげると喜んで「ありがとう」と言ってくれる、この人のために頑張れば「頑張ったね」と言ってくれる。たまにおじさんと同じように頭を撫でてくれた。
その瞬間、私はちゃんと頑張れたんだと、報われた気がして嬉しかったのを覚えている。

自分のものを買うよりも彼女のものを買ってあげたいと思ったのも、決して男としてカッコをつけたいと思っていたからではない。

自分に何かを買うよりも、彼女に何かを買ってあげて「ありがとう」と言ってもらえることの方がよっぽど嬉しかったからだ。

本当に毎日が輝いていて、いっそのことこの幸せな状態のまま世界が終わってしまえばいいのにと思うほど、私は幸せだった。

しかし付き合って約二年半が経った頃だろうか、就職活動を境に大きく関係が変わった。
私が彼女の就職活動を手伝っていたのだが、そんな中で彼女にとって私は良い存在ではなくなっていったのだ。

もちろんそのことは理解していた。
ただ、どうしても彼女のこれからの人生のことを考えると、私が一時的に悪者になってでも支えたいと思っていたので自分の気持ちを我慢していた。

好きだけど嫌われている、でも本当の気持ちを伝えられない状況は私の心をひどく苦しめ、ストレスのせいで肺に穴が開き、記憶障害にもなった。
持病やその他にも痛みなどを挙げていけばキリがないほどに苦しかったのを覚えている。

この時、私は自分の体がそれなりに限界を迎えかけていることは理解していた。

本当は「頑張ったね」と言っていつものように抱きしめてほしかった。
すべてを伝えてしまいたいと思っていた。

だが、彼女には言わなかった。

この人の為なら我慢したいと思ったからだ。

また、ある大切な人の言葉を思い出したからだ。

私は絶対にこの人の味方でいる、何があっても弱みは見せずに支えていく、そう覚悟を決めていた。

そして、自身がこうやって限界に近づいていくことでなんだかあの人に少しでも近づけるような気がして、大切な何かに気づけるような気がして、私は苦しみながらも前を向いた。

しかし、そんな中である日、私は彼女に別れを告げられた。

思ったよりも嫌われてしまったらしい。

その時はかなり絶望したのを覚えている。

その後、彼女から連絡があり会ったり話したことでまた元に戻ることになった。
しかし彼女が私に対する気持ちを立て直すことはなかなかできなかった。

周りからは理不尽な別れだったこともあり、なぜ自分がこんなに苦しむまで気づかなかったんだと叱られたが、私が彼女の違和感を嘘やごまかしに気づかないわけがない。
どれだけ一緒にいたと思ってる。
それでも私が何も言わずに我慢していたのは、どれだけ長い間一緒にいていろんなことに慣れていこうとも、最後まであの人が悲しむ顔と涙を見ることだけは慣れることができなかったからだ。

そんな伝わるはずのない思いを抱えながら、結局すれ違いは元に戻せず、別れることになった。

私はたくさん泣いた。
だが、私の中で尽くし、愛し抜いたという確信を持てていたので日に日に心は晴れていった。

私の中で自分以上に彼女を愛せる人はいないと思えるまで頑張れたからだ。

彼女が私の大切さに気づいてくれないのであれば、私を好きでいてくれないのであれば、彼女に会いたいと思うことももうない。

私を愛してくれていた彼女の代わりなんて世界中のどこを探してもいないと思っていたが、今の私を愛してくれない彼女の代わりならたくさんいるからだ。

なので別れから一ヶ月がたった今、そこまでの悲しみはない。

日に日に時間が私に冷静さを与え、私を好きでいてくれない人を失っただけか。と思ってしまえばさほど苦しくもなくなった。

ただ私の中の満たされていたと錯覚していた愛や寂しさがそこまでのものではなかったという現実はそれなりに私を苦しめている。

だが、この現実も乗り越えていくしかない。

私を本気で愛してくれる人を本気で愛する為に。

たった22年しか生きてきていない私だが、それなりに挫折と絶望を味わってきた。

そんな私が皆さんに伝えられることがあるのなら、「あなたを想ってくれている人を大事にしてほしい」。

今あなたにとって大事な存在がいるのかもしれない、もしくは気づけていないのかもしれない。

ただ、そんな中であなたを想ってくれている人には誠実に向き合ってあげてほしい。

それは恋人だけでなく、親友や家族にも当てはまる。

人は当たり前に満たされすぎて失うことの怖さと辛さを理解できていない。

今あなたが当たり前に笑っていられるのも、幸せでいられるのも、当たり前に気づかないのも、それはあなたを想ってくれる大事な存在に支えられているおかげなんだと気づいてほしい。

そして、そんな素敵な存在を失わないでほしい。

私は今、一番会いたい人に会うことができない。

この寂しさ、後悔は一生消えることはないだろう。

こうした大切な存在を失った寂しさや後悔は絶対に消えない。
それは自分を想ってくれていた気持ちの大きさ、大事に思ってくれていた気持ちに気づけなかった数だけに比例して心に残る。

なので私のようにならない為にも、今一度あなたの周りの存在の大事さに気づいてほしい。

手が届かなくなる前に、声が届かなくなる前に、しっかりと愛してあげてほしい。

なぜ生きているのだろう、そう思うこともあるのかもしれない。
私も何度もそう思った。

だが私たちはただ生きているのではなく、今日も誰かに生かされていて、そしてその気持ちに応え続けることこそが生きる意味なのではないだろうかと私は思う。

今悲しみを抱えている人、ぬぐいきれない寂しさを抱えている人、大きな後悔をしている人、それらすべての人の願いが叶うとは限らない。

どれだけ頑張っても報われないことだってある。

それでも自分を含め、あなたが大事にすべき人を大事にできていれば必ず幸せになれると信じて明日も生きてほしい。

私もそうやって生きていく。

次また手に入れた大事な存在を失わない為に。

今私の目の前に二人のカップルが座った。

「ここにずっと連れてきたかったんだ」
「綺麗だな 嬉しい、ありがとう」

そんなありきたりなやりとりを繰り返している、なんとも微笑ましいその光景に思わず目を向けてしまう。

今の私と彼らは同じ空の下にいるのだが、きっと違う景色が見えているのだろう。

私は少しは優しくなれたのだろうか、強くなれたのだろうか。
一番聞きたい人からその答えが返ってくるはずもなく、ただ夜景を見ながらたくさんの思い出を頭の中で振り返る。

そしてそんな私の前で二人の男女は肩を寄せ合い、手を握りしめ、同じように綺麗な夜景を眺めている。

彼らにとっての当たり前の日常は、今の私にはどうしても眩しく輝いて見えた。

どうか私が帰るまではその手をずっと握りしめていてほしい。
その綺麗な景色を目に焼き付けてほしい。

そんなことを勝手に思いながら私は、大好きな人に見せるはずだった夜景を最後にしっかりと目に焼き付け、思い出の場を後にした。

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